すほた。

Preface of "The Restaurant of Many Orders"

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追憶

 

1945年3月10日

アメリカ軍第73、第313、第314航空団がB29爆撃機325機を送り込み、東京を火の海と化させた、東京大空襲の日である。

 

投下弾量は約38万発、1,700tにのぼり、東京は火の海と化した。8万人以上(10万人ともいわれるが正確な数字は把握されていない)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、一夜にして東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した。

 

私の祖母(明治35年生まれ、平成15年没)はこの空襲で弟、妹とその一家6人を亡くし、自らも背中に重度の火傷を負った。背中のケロイドが悲惨な戦争体験を物語っていた。まさしく生き証人であった。

 

 

祖母が涙を流しながらこう語りだした。

 

「助けてあげられなくてごめんね・・・」

迫りくる火の海から逃れることだけを考え、焼夷弾が雨のように降りしきる中、必死で逃げたという。

 

一瞬の出来事だった。逃げ惑う群衆に呑まれるように、幼い甥と姪の手が離れてしまった。

 

「おばちゃーん! おばちゃーん!!」

 

火の海の中で泣き叫ぶ姪の声だけが聞こえる。だが、姿がどうしても見えない。

声だけを頼りに必死で捜したが、どうしても見つけることが出来なかった。

祖母はその場に座り込み、立ち上がることが出来なかったという。

気が付いたときは救護所のゴザの上だった。

 

 

「私には生きる資格がない」と、祖母は58年もの間、自分を責め続けた。

 

「私は姪を捜すのを諦めてしまった。ごめんね・・・ごめんね・・・」

何度も「ごめんね・・・」と繰り返す祖母。

 

 

最後は涙で言葉になりませんでした。

 

 

 

62年前の今日 3月10日  東京大空襲

 

 

みなさんにお願いがあります。。。

はっきり言って、私たちにできることなど皆無です。

ただ、二度とこのような悲惨な過去が繰り返されることのないよう、ほんの少しだけでいいですから、手を合わせ、祈りをささげていただけないでしょうか・・・

 

お願いします・・・

 






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